こんにちは。
アラフィフ主婦のとらこです。
結婚した時に両親が嫁入り道具として揃えてくれた家具に含まれていた和ダンス。
着物の収納用に作られていて、着物を小さく畳まなくても収納できる幅がある。
4半世紀もの長い間、狭い我が家の部屋の一角を占めていました。
中に入っていた着物を処分したので、その存在の無用さに気が付き、処分を決心。
アラフィフ主婦の私が和ダンスを処分する事にした経緯と、処分した方法、その時の気持ちを聞いてください。
大きな和ダンスを処分したら、さぞスッキリするだろうって思っていたんだけど、
実のところスッキリと言うより寂しいんだよ。
寂しい気持ちの原因も考えてみました。

婚礼家具は親の見栄と愛情の証。
私の実家は名古屋文化圏の端っこです。
ラーメンと言えばスガキヤ、喫茶店はコメダです。
そして嫁ぎ先である夫の実家も名古屋文化圏。
名古屋は結婚式が派手なことで有名です。
どうして派手なのかというと、見栄を張るからです。
名古屋人は見栄っ張りなんです。
娘が嫁ぐ時には近所に菓子を撒き、トラックに積んだ婚礼家具に紅白の幕をつけ、見せびらかすように嫁ぎ先に運び入れる風習があります。
私が結婚した26年前は さすがにそこまではしませんでしたが、そこから10年程もさかのぼれば まだそんな風景も見られた時代です。
そんな名古屋文化圏では 新居の家具を揃えるのは新婦側の親の役目です。
立派な婚礼家具で大事な娘を嫁がせることを嫁ぎ先にアピール。
家の娘にはこれだけの物を揃えてやれる価値がある大切な娘なんだぞ、と。
言わば親の愛情の証なんですね。
実際に私の叔母は、立派な婚礼家具を持参できなかったために家柄が悪いと嫁ぎ先でいじめられ、離婚したそうです。(それだけが原因では無いと思いますが。)
母も自分の婚礼家具の品質が悪い事をよく嘆いてました。
母が「自分の娘には立派な家具を持てせてやりたい」と言っていた事も覚えてるよ。
両親は一人娘の私のために、わざわざ木製品の名産地である飛騨の高山まで出かけて家具を選んでくれました。
同じころに結婚した私の友人たちの婚礼家具事情も概ね似たようなもの。
新婚の友人宅へ遊びに行くと、狭いアパートに家具だけ立派でアンバランスでした。
私達夫婦も友人達も、結婚後数年は賃貸アパートで暮らし、いずれは夫の両親と同居か 新居を建てる予定で 家具を揃えていたのです。
最近の住宅事情と生活スタイル
アラフィフの私達が育ったころは核家族化が進んでいたと言っても、まだ長男の嫁は夫の両親と同居する事が当たり前という風習は残っていました。
夫は長男なので、私も義理の両親と同居が当たり前だと思ってましたが、実際のところ、いろんな事情で無理でした。
世間的にも長男でも両親とは別居という選択肢がやっと認められてきた頃だったんだと思います。
私達夫婦は実家には入らず、結婚6年後に分譲マンションに住むことに。賃貸アパートから引っ越し、婚礼家具も新居のマンションに移しました。
その頃にはもうマンションにはクローゼットなどの収納スペースが充分備わってました。
アパートより広いはずのマンションも、タンスやベットを運び入れると居住スペースが狭くなります。
タンスなどの収納家具が無くても生活できるよう設計されているんだから、家具を入れたら狭くなるのはしょうがない事ですね。
最近の新しい住宅はもっと収納スペースが広くとられているようで、物の少ない人なら家具はほとんど必要ありません。
生活スタイルも変わってきて、昔からの風習も簡素化されたり無くなったりしてきています。
結婚式もお葬式も簡素化傾向が強いですよね。
私にはもう親の揃えてくれた着物を着る機会も無いだろうな、あっても数回程度。
使わない物に時間と場所をとって維持するより、手放して必要な時だけレンタルした方が良いと判断して、着物を処分しました。

着物を処分した後に残った和ダンス。
残っていた浴衣は保管用のたとう紙から出して畳めば、洋服ダンスの引き出しにしまえます。
他に入っていた細々とした物も別の場所に移し、和ダンスは空っぽになりました。
もう必要が無いです。
粗大ごみとして回収してもらいました。
必要の無くなった和ダンスは 自治体に粗大ごみとして回収してもらう事にしました。
以前、離婚した友人が婚礼家具を買取してくれるリサイクルショップがなかなか無いと言っていたのを思い出したからです。(結局は何件かあたって買い取ってもらったようですが。)
両親が奮発して買ってくれたタンスです。
かなり重いです。
私一人ではごみ収集場所まで運べません。
まず、中の引き出し類を全部出しました。



その後、夫がドライバー1本で扉部分を外してくれました。
この扉部分だけでかなりの重量です。
扉を外して軽くなった本体ですが、1人ではやっぱり運べず大人2人がかりで運びだします。
引き出し類は自宅とごみ収集場所を何往復かして運び出し、最後にごみ収集場所で組み立てる方法をとりました。


和ダンスを処分して残ったものは罪悪感?
和ダンスというかなり大きなものを片付けて、きっとスッキリするだろうと思っていたのですが、何だか寂しさだけが残ってしまいました。
親の愛情が詰まっていたタンスなのに、無情にも捨ててしまった自分。
親不孝な行為だったんだろうか…と罪悪感すら感じます。
2年前に母を見送った時の気持ちがフラッシュバックして、涙ぐみそうです。
喪失感とでも言うのか。
でも、こう考えるようにします。
和箪笥を今処分しなかったら、もっと年をとって体力も気力も無くなった私には処分する事は出来ない。
そうなると いつか私の子どもが処分する事になる。
私は、できるだけ『子どもには迷惑をかけたくない』と思っているので、自分で片付けられる物は気力と体力があるうちに片付けておく。
親の事を考えるより、子どもの事を考えると、今は寂しいけどこれで良かったんだと思うことができます。
50を過ぎてやっと親離れした気分です。
でも、寂しさが癒えるのにはもう少し時間がかかるかもしれませんね。
それはそれで、受け止める事にしましょう。
この親からあたえられた物を片付ける罪悪感、写真アルバムを処分する時にも悩まされました。

それでもやっぱり、子どもの事を考えて写真アルバムをデータ化した上で処分する事にしました。

断捨離って、ホント時間と労力が必要ですね。
